バカ舌で謳歌する人生
こんにちは
いきなりですがバカ舌って素晴らしいですよ。
食べることに関して人より幸せのハードルが低い。安いもので満足できる。
メリットはこの二つだけだがこの二つだけで十分。二つというかこれほぼ同じ意味っぽいし実質一つだけか。
デメリットとしては、味の違いとやらがわかる、崇高な舌をお持ちの方々に見下されてしまう可能性があるぐらいだろう。
ところで私はなぜこのような味覚に育ってしまったのだろうか。
小学校のときの給食がヤバかったのだ。
今思えば、母の料理によって舌が肥え、その反動で給食を全く美味しいと感じなくなっていたのだろうか。いや多分絶対的に給食は美味しくなかったはずだけど。
給食の焼きそばとか最後らへん食ったためしが無い。なるべく残さないよう頑張っていたけど…。なんかすごい塊になってたり謎にちくわが入っていた。あれは焼きそばではなかったと思う。地獄。自分のことを焼きそばだと思っている地獄。地獄という概念を食べていた。
その後中学に進学し、昼は弁当になった。クソヤバイ給食とはそこでおさらば。給食はそういう、美味しくないものなのだと思っていた。
中二のときに転校をした。そこでは再び給食になるという。当然小学校のときの苦いというか不味い記憶が脳裏をよぎった。
また憂鬱なランチタイムを毎日過ごさなければならないのか…
しかし、新たな学校でいざ給食を食べてみると普通に美味しい。ご飯がうめえ。味噌汁もうめえしおかずもうめえ。どうした。
「かみくだく」のエフェクトが出るぐらい強く噛まねばならぬほどの異常に硬いパンは出ないし冷えた八宝菜は出ないしちくわの入った地獄も出ない。それだけで十分だった。
中二の林間学校の宿で出た飯を皆が不味い不味い地獄だ温かいものが食べたいと咽び泣くなか私だけ異常に早く食べ終わっていた気がする。地獄で鍛錬されたバカ舌はちょっとやそっとのことで悲鳴をあげない。
若干話が逸れたが、とにかくバカ舌に育ったのは小学校の時の給食のおかげだ。
近所で買える500円の海鮮丼もバカみたいに美味いし、評価の分かれるあの担々麺屋もといカレー屋の担々麺も私は好き。
良い体質に生まれてよかったなと思う。毎日がごちそう。
そういう標語ありそう。
皆さんもバカ舌になりたければ、とにかく美味しくないものを一杯食べよう。
苦しんだ先には、明るく幸せなハードルの低い食生活ライフが待っているはずだ。